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停滞期から卓球人生の転機へ

卓球を始めたのは、今から丁度25年前の9月1日です。

その私が、今では愛知県の岡崎市でMikawa Black Pine’sという卓球教室で指導をしておりますが、

25年前にすべてが始まっていたのかと思うと感慨深くなってきます。

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小学校1年生から卓球を始め、毎年全国大会に出場していましたが、小学校5年生から

中学校1年生までは全国大会の予選を通過することができませんでした。

小学校2年生の時に全国大会でベスト8まで勝ち進み、ランキング5位という

成績を残したことが停滞期の始まりだと感じております。

全国大会でベスト8になると翌年の予選は免除となるため、油断していたようです。

また、自分は全国で5番目に強いと思って調子に乗っていました。

戦型は右ペン表で、サーブが得意なだけの選手でした。

この頃からの思い上がりが、どんどん自分を弱くしていったことは言うまでもありません。

練習も気が抜けていたでしょうし、今思い返しても特に思い出せないほど、なんとなく練習していました。

結果、全く強くならず全国大会の予選を通過できなくなっていました。

ラバーを裏に変えても大して何も変化がなく、サーブとバック技術だけ上手い選手でした。

中学生になっても大して何も変わらず、どんどん卓球が面白くなくなってきました。

昔の成績だけが輝かしく、今の自分を受け入れられない状態が続いていました。

中学1年の10月頃にクラブの練習の休憩時間にシェークのラケットで遊んでいました。

「クラブの先生が、シェークにしてもいいんじゃない?」と言ってくれたことが卓球人生の転機となりました。

両親と話し合って、ペン表に戻すか、シェークにするかを散々悩んだ挙句、シェークにすることに決めました。


不思議なことに、シェークに変えた途端、卓球が面白くなりました。

もちろんペンのときより弱くなっているので、必死で練習をするようになりました。

地元の強豪高校である東山高校の監督さんからは、急にシェークに変えたことでそっぽを向かれましたが、

自分の意志は変わらずシェークでやることを心に決めました。

中学2年のときに全国中学校大会に出場することを近い目標に設定し、日々努力することができました。

ペン時代のときには苦手だったフォアーが得意になり、積極的にフットワーク練習するようになりました。

シェークにしてすぐの試合で優勝し、「これでもいける!!」と確信しました。

なかなか思い切って出来ることではありませんが、これが卓球人生の転機となりました。
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プロフィール

Morihiko Kobori

Author:Morihiko Kobori
☆経歴
東山高校卒業
中央大学卒業

☆戦績
インターハイ
 シングルス ベスト16
全日本学生選手権
 シングルス ベスト16
 ダブルス ベスト4
関東学生選手権
 シングルス ベスト4
 ダブルス 優勝
関東学生リーグ戦
 団体 優勝
全日本選手権
 シングルス ベスト16
 ダブルス ベスト16

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