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少しだけ強くなった中学生時代

前々回にシェークに変えたことが卓球人生の転機となったと記述しましたが、

決してその先の卓球人生が華々しいものではありませんでした。

中学時代の戦績は特筆するものは何一つありません。

でも、ペン時代よりは少し強くなり、可能性も出てきていたのではないでしょうか。


シェークに変えてからは、何にも目もくれず、ひたすらフットワーク練習ばかりやっていました。

当時通っていたクラブチームは京都の名門「スイトピア」というクラブでしたが、

全国で活躍できるほどのチームではありませんでした。

私には5つ年上の兄がいて、その兄の世代は全国で活躍する選手が男女共に数名いるような

本当に強いチームでしたが、私の世代は全国大会2回戦敗退というのが多かった気がします。

このクラブチームの特徴が、練習内容は基本的に自由ということです。

私が通っている間に、先生が数回変わっていますが、練習スタイルは変わりませんでした。

※現在のスイトピアの方針等は存じませんので誤解のないようにお願いします。
 あくまでも当時のことです。

好きなだけフットワークをやって、ひたすら3球目攻撃をするスタイルを構築するべく

練習に明け暮れました。

当時の先生に、「モノの考え方を違う視点で捉える」ということを教わりました。

頭の固い私に「物事の考え方は一つではなく、様々な考え方があるんやで」と教えていただき

次第に先生の考え方の虜となっていました。

中学2年生の夏の大会時、全国中学校大会になんとしても出場したいと思っていた私に、

「それだけ頑張ったんやから、心配しなくてもきっと結果は出る」と言ってくれました。

その時初めて自分が無我夢中で練習していたことに気が付きました。

そんなことにも気が付かないほど夢中になっていたのでしょう。

先生の言葉を信じ、自分を信じ、予選中も気を抜かず頑張った結果、周りの予想を覆して

全国中学校大会の出場権を手にしました。

当時のクラブチーム所属者からは私を含め、3名通過となりました。

このときに「やればできる!」と自信を持ち始めました。

残念ながら、本選は2回戦敗退でした。

中学3年になっても全国中学校大会は出場しましたが、結局2回戦敗退と進歩がありませんでした。

しかし、中学2年のときの全日本カデットでは、大した成績ではないが、ベスト32で

前年度3位の選手にゲームオールデュースの試合ができたことはある意味自信になりました。

これらの成績で、地元の名門 東山高校に推薦入学させてもらうことができました。

高校3年のときに、京都でインターハイがあることが決まっていたので、東山高校でもまれれば

そのときに華を咲かせることができるのではないかと期待して進学しました。

と、まあ、ここまでは特に何の変哲もないただの思い出話です。

この先に、私自身を大きく変える、いや、私自身が大きく変わらなければならないことが起こります。

指導方法について

愛知県の岡崎市でMikawa Black Pine’sという卓球教室で指導をしておりますが、

指導している中で様々な発見があります。

その中でも、特筆すべきは子供たちの潜在能力の高さには驚かされます。

指導を始める前から理解してはいたのですが、実際に目の当たりにすると

驚かざるを得ません。

まず、自論では

①「事細かに説明する指導は指導者の自己満足である」

②「子供たちには何でも経験させること」  などがあります。

「①」では、指導者が事細かに説明しても、結局は子供たちの頭の中が混乱する結果と

なる可能性が高く、指導者側がすべて説明したことによって満足しているだけだと考えています。

わざと抽象的に説明し、子供たちの感性に任せるように心掛けています。

子供たちの受け取り方が個性となってくれるのではとの考えです。

この場合、常に誤った方向へ進まないように注意して観察する必要があることは言うまでもありません。

「②」では、遠征に行ったりした場合は、人に迷惑をかけないよう規律ある行動をするようにと

注意するだけで、練習に関しては遠征の受け入れ先のやり方を子供たち自身が「目で見て」「感じて」

「行動する」を勝手にやってくれます。

子供たちには子供たちの社会があり、大人の立ち入る必要のないことがたくさんありますので

黙って観ていることが多いです。

それだけで子供たちは勝手にたくさんのことを学んでくれます。

また、普段の練習でも細かいことを指導するより、子供たちの気持ちを上向きに

するための支援をする程度で、やる気になっている子供は勝手に多くのことを学んでいきます。

これらの事柄を学ぶ感性は子供の方が圧倒的に優れているように感じます。

我々は精神面や考え方を教えることの方が重要であると感じております。

子供たちは自分で「技術面」「精神面」「生活面」をしっかり成長させてくれるのです。

結局、子供たちを成長させるのは子供たち自身であり、我々はその環境や機会を与えてあげられるか

どうかが非常に重要なポイントとなることを痛感しております。

子供が言葉を勝手に覚えていくのと同じで、放っておいても勝手に学んでくれることは

たくさんあり、なんでもかんでも口出しする必要はありません。

また、事細かに指導された選手は、指導者が変わったときに大きな壁にぶちあたります。

そして、その壁を超える術を知らないことが多いです。

指導者は、目の前の結果にとらわれないで将来的に成長する選手の育成に努めなければなりません。

目に見えないモノですので非常に難しいですが、これが指導者の役目であり、責任であり、

やりがいなのでしょう。

相変わらず、抽象的で偏った意見ではありますが、心の内を記させていただきました。

あくまでも私見です。


※誤解を招きそうなので追記しますが、技術指導もきっちりと行っていますので、あしからず。

停滞期から卓球人生の転機へ

卓球を始めたのは、今から丁度25年前の9月1日です。

その私が、今では愛知県の岡崎市でMikawa Black Pine’sという卓球教室で指導をしておりますが、

25年前にすべてが始まっていたのかと思うと感慨深くなってきます。

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小学校1年生から卓球を始め、毎年全国大会に出場していましたが、小学校5年生から

中学校1年生までは全国大会の予選を通過することができませんでした。

小学校2年生の時に全国大会でベスト8まで勝ち進み、ランキング5位という

成績を残したことが停滞期の始まりだと感じております。

全国大会でベスト8になると翌年の予選は免除となるため、油断していたようです。

また、自分は全国で5番目に強いと思って調子に乗っていました。

戦型は右ペン表で、サーブが得意なだけの選手でした。

この頃からの思い上がりが、どんどん自分を弱くしていったことは言うまでもありません。

練習も気が抜けていたでしょうし、今思い返しても特に思い出せないほど、なんとなく練習していました。

結果、全く強くならず全国大会の予選を通過できなくなっていました。

ラバーを裏に変えても大して何も変化がなく、サーブとバック技術だけ上手い選手でした。

中学生になっても大して何も変わらず、どんどん卓球が面白くなくなってきました。

昔の成績だけが輝かしく、今の自分を受け入れられない状態が続いていました。

中学1年の10月頃にクラブの練習の休憩時間にシェークのラケットで遊んでいました。

「クラブの先生が、シェークにしてもいいんじゃない?」と言ってくれたことが卓球人生の転機となりました。

両親と話し合って、ペン表に戻すか、シェークにするかを散々悩んだ挙句、シェークにすることに決めました。


不思議なことに、シェークに変えた途端、卓球が面白くなりました。

もちろんペンのときより弱くなっているので、必死で練習をするようになりました。

地元の強豪高校である東山高校の監督さんからは、急にシェークに変えたことでそっぽを向かれましたが、

自分の意志は変わらずシェークでやることを心に決めました。

中学2年のときに全国中学校大会に出場することを近い目標に設定し、日々努力することができました。

ペン時代のときには苦手だったフォアーが得意になり、積極的にフットワーク練習するようになりました。

シェークにしてすぐの試合で優勝し、「これでもいける!!」と確信しました。

なかなか思い切って出来ることではありませんが、これが卓球人生の転機となりました。

卓球を始めて

前回、卓球を始めたきっかけを書かせていただきました。

読んでいただいた方、感謝いたします。ありがとうございました。

さて、今回は私の自伝卓球を始めて間もない頃のことを書かせていただきます。

今現在、愛知県の岡崎市でMikawa Black Pine’sという卓球教室をやっている私は、

もう間もなく卓球歴25年になります。

幼少期のことを思い返すと、思いのほかおもしろいものですね。


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小学校1年生の9月に始めた卓球、週4回も練習に通っていました。

当時、小学1年生で週4回も練習している子供はいたのでしょうか。

私は、楽しいという思い一心で練習に通っていました。

当時、小学1年生~4年生までは公式戦で、高さが10センチ低く、

ネットも2センチ高い卓球台を使用することになっていました。

私の通っていた卓球教室には、台の高さを調整することが可能な卓球台が置いてありました。

私の他に、4年生の生徒がいたため、いつもその人と練習をしていました。


卓球を始めて2カ月弱が過ぎようとしていた日に、全日本バンビ(小学1~2年生の部)の

京都府予選が開催されました。

私は何のことやらさっぱりわからないまま、初めての試合に出場することになっていました。

今から考えると、一体どういう理由かわかりませんが、予選に参加した選手は6名で

予選通過人数は5名という、なんともぬるい予選でした。

しかし、出場選手ははっきり言ってめちゃめちゃ強かったです。

その中でも、1学年上の2年生の一人(高校で先輩となる人)はダントツの強さでした。

試合中に声を出していて「この人は試合中に何を言っているのだろう??」と思っていました。

出場選手6名で総当たりのリーグ戦をして、1名だけ予選通過できない状況で

6名中2名が初心者(私を含む)という異例中の異例の予選会となりました。

もう一人の初心者に勝つことができれば予選通過となる状況でしたが、

私は何のことやらさっぱりわかっていませんでした。

ベンチコーチには母親が入っていました。

「バックサーブを相手のフォアーとバックに分けて出しなさい」と一つだけアドバイスをもらった気がします。

試合の内容は覚えておりませんが、どうやら勝ったようです。

無事に京都府予選5位通過いたしました。

本戦は11月に三重県で行われるとのことでした。

自分では何のことやらさっぱりでしたが、周りの人がやたらと騒いでいたことを覚えております。


時は過ぎ、11月の全国大会がやってきました。

この頃もまだ、何のことやらって感じでしたが、どうやら同学年の1年生の中では一番勝ち進んだようです。

その結果、翌年の同大会で、なんと第1シードでした。結果はベスト8でした。

なんとも輝かしい幼少期でした。

が、このあと、卓球が面白くなくなってくるとは思いもしませんでした。

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卓球を始めたきっかけ

現在、愛知県の岡崎市でMikawa Black Pine’sという卓球教室で子供さんから大人の方までを指導しております。

子供たちの指導をしているときに、自分が卓球を始めたきっかけや当時の気持ちをよく振り返ります。

あまり鮮明な記憶ではありませんが、私の卓球を始めたきっかけから幼少期のことを書きます。


卓球を始めたのは小学校1年生の9月1日(月)でした。

家にあったペンホルダーのラケットを持って自転車で10分程度の「京都卓球センター」という

卓球場で卓球を始めました。

練習は「月」「木」「金」「土」の4回から選び、月曜日のみの週1回でスタートしました。

が、しかし、なぜか私は木曜日も勝手に練習に向かい、そのまた次の日も、また次の日も練習に行きました。

気が付くと週4回の練習すべてに参加しておりました。

今考えるととんでもない子供ですね。。


話は少しさかのぼります。

私には5歳年上の兄と4歳年上の姉がいます。

兄が小学校のクラブ活動で卓球を始めました。

そのクラブ活動でとんでもなく強い友達がいたそうです。

それもそのはず、卓球センターの隣に住んでいて、スクールに入っていたからです。

兄は友達に勝てないことが悔しくて自分も通いたいと言ったそうです。

それに次いで、姉も卓球クラブに入り、同じく卓球センターに通うようになりました。

いつも家で遊んでくれていた兄と姉が家に居ない時間ができました。

その時間がすごくさみしくて私も「卓球をやりたい!」と言いました。

卓球を始めたきっかけはただ「さみしかった」だけです。


「卓球をやりたい!」と言っても、親には「あんたはまだ早い!」と言われ続けていました。

なぜ自分はやらせてもらえないのか分かりませんでした。

しかし、私があまりにしつこいので1年生の2学期から始めさせてもらえることになりました。

これが私の卓球人生の始まりです。
プロフィール

Morihiko Kobori

Author:Morihiko Kobori
☆経歴
東山高校卒業
中央大学卒業

☆戦績
インターハイ
 シングルス ベスト16
全日本学生選手権
 シングルス ベスト16
 ダブルス ベスト4
関東学生選手権
 シングルス ベスト4
 ダブルス 優勝
関東学生リーグ戦
 団体 優勝
全日本選手権
 シングルス ベスト16
 ダブルス ベスト16

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